01
年輪にそって、
縮む
木は乾くと縮む。ただし、どの向きにも同じだけ縮むわけではない。
北海道立総合研究機構 林産試験場(北海道の公設試験研究機関)の技術解説は、その差をこう書く——「木材の繊維方向,半径方向,接線方向の収縮率の比をとると,一般的に0.5~1:5:10といわれています」。繊維方向は幹が伸びる向き、半径方向は中心から外へ向かう向き、接線方向は年輪にそってまわる向きだ。年輪にそう向きは、中心へ向かう向きのおよそ2倍縮む。同じ解説は、これを「乾燥による木材の横断面の変形の主因」と呼ぶ。変形の中身として挙がっているのは「反り・曲がり・割れ・ねじれ」である。
割れのほうは、もうひとつ別の理由からも起きる。水は表面から蒸発するので、外側だけ先に乾く。同試験場の別の解説(製材乾燥科・中嶌厚)によれば、木が縮みはじめるのは含水率が約28パーセント(繊維飽和点)を下回ってからで、表層がそこを切って縮みはじめても、少し内側はまだ水を含んでいて縮まない。「表層の収縮しようとする力に対抗して内部ではそれと同じ力で押し返そうとします」——その結果、「表層に作用する引張力が大きくなり,この力が木材表面の強さを超えた時に割れが発生します」。
丸太は、この2つがいっぺんにかかる形をしている。同じ解説は、中心を含む角材について「四材面すべてが接線方向で中心線が半径方向になるため,たとえ水分傾斜が生じないとしても四面の表層には常に引張応力がかかり,割れる危険性が残されます」と書き、こう続ける——「これは丸太でも同じことで,自然乾燥された丸太で割れていないものは稀と言えるでしょう」。
彫る側から見れば、これは厄介な話だ。何か月もかけて彫り上げた像が、完成したあとに、自分の中に残っている水のせいで裂けていく。
02
刳ると、
割れない
①の割れは、厚いから起きる。ならば、厚くなければいい。
日本の木彫仏の多くは、中が空洞になっている。この「内部を刳り抜く」技法を内刳(うちぐり)という。美術史用語辞典 JAANUS(コロンビア大学が公開する日本美術・建築用語の辞典)の定義はみじかい——「木像を刳り抜くことは、木を乾かし、割れるのを防ぎ、そして軽くする」。
なぜ効くのか。①で見たとおり、割れの引き金は外と中の乾きかたの差だった。林産試験場の解説は、この差を水分傾斜と呼び、「一般的には断面の大きな木材を乾燥したときに大きくなり,薄い板類を乾燥したときにはほとんど発生しません」と書く。刳るというのは、断面の大きなかたまりを薄い板に変えてしまうことだ。壁が薄ければ、外も中もほぼ同時に乾く。差がつかなければ、引っ張る力も生まれない。
刳り口はふさぐ。JAANUS によれば、立像では背と下から、坐像では背から、頭部は後頭部から刳り、開けた穴は別の板でふさいだ。背から刳るやり方を背刳(せぐり)、ふたにする板を背板(せいた)と呼ぶ。もっと深く刳るために、像をいったん二つに割ってそれぞれの内側を彫り、また接ぎ直す方法もある——割矧(わりはぎ)だ。JAANUS は、この方法なら合わせ目がぴたりと合うので、継ぎ目を磨いたり、内部への穴をふさぐ板を当てたりする必要がないと書く。背板が要るのは、割らずに穴を開けて刳ったときである。
内刳のいちばん早い例として JAANUS が挙げるのは、奈良・法隆寺の百済観音像(7世紀前半)。広く使われるようになるのは8世紀後半からだ。そして同辞典は、刳った内側についてこう付け加えている——のみの跡はならされ、布を貼ったり漆を塗ったりすることが多く、仏師の署名が内側から見つかることもある。外からは誰にも見えない面である。
03
寄せると、
木より大きい
②で割れは止まった。残った縛りは、木そのものの太さである。
像の主要部——頭と胴——を一本の材から彫り出す作り方を一木造(いちぼくづくり)という。手や腕を別に作って接いでも、頭と胴がひとつながりならこう呼ぶ、と JAANUS は定義する。定義がそうである以上、像の太さは、使える木の太さを超えられない。
これに対して、頭と胴を2材以上から作るのが寄木造(よせぎづくり)だ。JAANUS は利点を3つ挙げている——(1) 乏しいこともある材料を効率よく使える (2) 継ぎ目から内部を容易に、効率よく刳れる(=②の内刳) (3) それぞれの材を別の仏師が彫れるので、量産しやすい。太さの縛りが外れるだけでなく、刳りやすくなり、分業できる。②でやったことが、ここでは組み立ての副産物として手に入る。
この作り方を広く、高度に使ったのが仏師の定朝(じょうちょう・1057年没)で、代表作が京都・平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像(1053年)である。JAANUS はその構造をこう記述する——主要部は4本の長い材からなり、それぞれが頭部と体部の4分の1をかたちづくって、首の軸のところで接合された。背面の材はうなじで割られていて、頭部の内側を十分に刳ったのちに接ぎ直された(この、首で割ってまた接ぐやり方を割首〈わりくび〉という)。
ただし、置き換わりは一気には進まない。同辞典は、11世紀後半から寺と仏像の数が増えるにつれこの技法がとくに京や先進地域の大像で頻繁に採られた一方、地方では11〜12世紀になっても大像が一木造で作られることが多かったと書いている。等身大以下では、どこで作られたかに関係なく寄木造・一木造・割矧のどれもが使われ、やがて寄木造があらゆる大きさで主流になった。JAANUS は内刳の項でも同じ流れをなぞり、寄木造が大きな彫刻にはじめて使われたのは平安後期、広く使われるようになったのは鎌倉時代以降だと書いている。この部屋の締めに置いた一点は、その鎌倉時代のものだ。
外から、
— 刳った内側も、材と材の継ぎ目も、できあがれば誰にも見えない。
見えないところ。
実物をみる
この像について、メトロポリタン美術館は作者をこう説明している——「仏師 院湛の名を持つ、現存する3点のうちの1点であり、菩薩の足を蓮台に差し込むために使われた木の枘(ほぞ)のひとつに署名されている」。
名前が書いてあるのは、像の表でも背でもない。足を台に差し込む、その継ぎ手の中である。立ててしまえば、二度と見えない。②で引いた JAANUS の一文——刳った内側から仏師の署名が見つかることがある——と、同じ場所の話だ。
この部屋で見てきたものは、全部そういう場所にある。刳った空洞も、材と材の継ぎ目も、できあがった像を外から見るかぎり存在しない。にもかかわらず、空洞がなければ像は割れ、継ぎ目がなければ像は木の太さを超えられなかった。作品のかたちを決めているのは、作品が見せない側である。——同じ木を塗って固める話は「漆」の部屋へ、土と金属で同じ「型と中空」を扱う話は「やきもの」「金属」の部屋へ続いている。
※①の収縮率の比「0.5〜1:5:10」と、割れの発生機構(含水率の傾斜→表層の引張応力→表面の強さを超えると割れる)は、いずれも北海道立総合研究機構 林産試験場の技術解説にもとづく。繊維飽和点の約28パーセントは収縮が始まる含水率であって、割れが始まる値ではない。②③の技法の定義・年代・作例は美術史用語辞典 JAANUS にもとづき、本室が独自に検証したものではない。内刳の効果として JAANUS が挙げるのは「乾かす・割れを防ぐ・軽くする」の3つで、そのうち「薄いほど水分傾斜が小さい」という物理の裏づけだけを林産試験場の解説から補っている(JAANUS 自身はその機構を書いていない)。③の「一木造では像の太さが木の太さを超えられない」は、頭部と体部を一材から取るという一木造の定義から導いた記述であり、出典にその一文があるわけではない。各ギミックの図はいずれも模式表現で、年輪・含水率・材の分けかたは仕組みが見えるように単純化・誇張してある。締めの一点について、メトロポリタン美術館は年代を1291年、作者を院湛と記録するが、これは美術館の記録である。全主張の台帳は museum/SOURCES.md。