01
彫らない、
版
版画は長いあいだ、2種類だった。凸版(木版・活版)は、残した“山”にインクをのせる。凹版(銅版)は、彫った“谷”にインクを詰める。どちらも彫る。ところが1798年に完成した第3の版〈平版〉は——表面がまっ平ら。彫っていない。ローラーを転がして、確かめてみよう。
3つの版の断面。左と中央は彫ってある。右は——まっ平ら。
02
油と水は、
仲が悪い
石灰石に油性のクレヨンで絵を描く。石を水で湿らせると、描いたところだけが水を弾く。そこへ油性インクのローラーを転がすと——水のあるところはインクを弾き、描いた線にだけインクが付く。あとは紙を当てて、プレスするだけ。左の石に指(マウス)で描いて、刷ってみよう。
指で、油性クレヨンの絵を描こう
刷り上がりは、ここに出る
石は、まっさら。まず何か描いてみよう(描かずに「刷る」を押してもOK)。
03
貧しい劇作家の
発明
発明したのは画家でも印刷屋でもない。ミュンヘンの売れない劇作家アロイス・ゼネフェルダー(1771–1834)。自作の戯曲を出版したいのに、銅版も活版も高すぎた。安い石で実験を重ね(1796年ごろ)、1798年に油と水の原理へたどり着く。本人がのちに書き残した有名な逸話が——母に頼まれた洗濯物のリストを、たまたま手元の石に油性インクで書きつけた、という一コマだ。
紙もペンも手元にない。あるのは、磨いた石と油性インク。
04
色を重ねて、
街へ
1色につき石を1枚——版を重ねれば多色刷りになる。〈浮世絵〉の部屋でやった、あの考え方と同じだ。多色石版〈クロモリトグラフ〉は1837年にエンゲルマンが特許をとり、1860年代から一気に広まって、19世紀末のパリでポスターが爆発する。シェレ、ロートレック、ミュシャ——街を飾ったあの絵は、ぜんぶリトグラフ。石を重ねて、ポスターを刷ってみよう。
石 0 / 3 — まだ、ただの紙。
05
きみの手の中の
リト
1904年ごろ、アメリカの印刷所で紙を入れ忘れた機械が、版の像をゴムの胴に写しとってしまう。ところが——そのゴム越しに刷った方が美しかった。この偶然から生まれた〈オフセット印刷〉は、石を金属板に替えただけで、原理は油と水の反発そのまま。いま世界の商業印刷の主流だ。最後にクイズ。
教科書、チラシ、お菓子の箱。
きみが今日さわった“刷りもの”の多くは、どの版式?
3つから選んでみよう。
彫らずに、描いたまま、
— 油と水の反発ひとつで、画家の線は版画になり、街はポスターになり、今日の印刷になった。
増やせる。
彫って摺る多色複製の浮世絵、そして描いたまま複製できるリトグラフ——回廊の「複製」の糸は、画家の手にどんどん近づいてきた。 この40年後、複製はついに現実そのものへ届く。次は〈写真の発明〉へ。 色とりどりの石版が街をどう変えたかは〈ポスターの100年〉で。
※発明年は「1796年ごろ実験開始・1798年に原理確立」の幅で記載(資料により1796/1798)。「洗濯物リスト」はゼネフェルダー本人が教科書(1818年、英訳1819年)に残した回想で、狙って実験を重ねる中の一コマとして紹介。日本への伝来年代は諸説ありヘッジ。図版は実物1点(The Met・CC0)+自作SVG。全主張の台帳は museum/SOURCES.md(Room M6)。