01
すべての
デモの母
ついこの間まで、コンピュータに画面はなかった。命令は紙のカードに穴を開けて綴じ、係の人に箱ごと渡す。答えは数時間後、紙の束で返ってくる——人と対話する機械ではなく、計算を依頼する機械だった。
それを一変させる実演が行われたのは、1968年12月9日のサンフランシスコ。研究者エンゲルバートが、約2,000人の技術者の前で90分の実演をした。のちに「すべてのデモの母」と呼ばれる伝説の発表だ。
画面の文字をその場で書き換え、離れた研究所と共同作業し、文書から文書へリンクで飛んでみせた。手元にあったのは、木の箱に車輪をつけた自作の道具——マウスの初公開だった。会場は総立ちになった。
いま当たり前の「画面を指し示して操作する」は、この日、世界に初めて見せられた。
02
窓と
アイコンの
発明
1973年、ゼロックスの研究所PARCで〈Alto〉という一台が生まれた。白黒のビットマップ画面に、重なり合う窓とアイコン、そしてマウス——いまのパソコン画面の原型が、ここに全部そろった。
それを世界中の机に届けたのが1984年のMacintosh。画面のアイコンと書体を一手にデザインしたのが、グラフィックデザイナーのスーザン・ケアだ。彼女の道具は、モザイクのような小さな四角の集まり——ピクセルだった。
03
青い下線を、
押した日
1989年3月、スイスのCERNで働くティム・バーナーズ=リーは、研究所の情報が失われていく問題を解決する提案書『Information Management: A Proposal』を上司に出した。表紙に返ってきた手書きの一言——「曖昧だが、面白い(Vague, but exciting.)」。
その「曖昧で面白い」案から、1990年のクリスマスまでにHTMLとHTTPとURL、最初のブラウザ〈WorldWideWeb〉、そして世界初のウェブサーバ info.cern.ch が動き出す。1991年8月6日にネット上で一般公開され、1993年4月30日、CERNはWebを誰でも無料で使える技術として世界に開放した。
右の画面で、青い下線を押してみてほしい。この〈押すと飛ぶ〉が、ぜんぶの始まりだ。
World Wide Web
WWWは、あらゆる文書への普遍的なアクセスをめざすハイパーメディアの取り組みである。
プロジェクトの概要、利用できるソフトウェア、参加している人々についてはそれぞれの文書を参照。
※世界初のページ(info.cern.ch)の構成を模した日本語の再現イメージ。原物の復元版は今もCERNが公開している(下の出典から見られる)。
ハイパーテキストとは
読んでいる文書の途中から、別の文書へ直接ジャンプできるテキストのこと。
いま、きみがした操作がそれだ。紙の本ではできない移動が、たった1回のクリックでできる。
曖昧だが、
— 1989年、Webの提案書の表紙に上司が走り書きした一言。世界を変えた企画書も、最初の評価はこうだった。
面白い。
実物をみる
Webが無料の公共財になった1993年、イリノイ大学NCSAのブラウザ〈Mosaic〉が登場し、文字だけだったページに画像が並んだ(imgタグの提案は1993年2月25日)。デザインを整える言語CSSも1994年に提案され、1996年に標準化。ここからWebは「読む場所」から「デザインする場所」になり、UIデザイナーという職業が生まれていく——画面の中のデザインは、まだ歴史の浅い、伸びしろだらけの仕事だ。
※出来事の日付はCERN・W3C・エンゲルバート研究所など一次資料で確認して記載。図版は自作SVG+Alto実機写真1点(パブリックドメイン)。全主張の台帳は museum/SOURCES.md。