01
巻物は、
探せなかった
巻物とコデックスの違いは、見た目ではない。
1世紀の本は、パピルスの巻物だった。それが数百年かけて、折って綴じたかたちに変わっていく。大英図書館はその結果をひとことでこう書く——「古代末期までに、本の大半はコデックスとして作られた(by late antiquity, the majority of books were produced as codices)」。
現存する最古級の一点が、オクシリンコス出土の『De Bellis Macedonicis』(P. Oxy. I 30/Papyrus 745)だ。大英図書館の目録は年代を「1世紀後半〜2世紀初頭」とし、古文書学者ジャン・マロンは「100年ごろ」に置いた。蝋板をのぞけば、ラテン語では確実に最古、おそらくどの言語でも最古のコデックスとされる。
なぜ巻物は負けたのか。ブリタニカは、コデックスの利点をこう書く——「ページの束は、本文のどの箇所にも一瞬で開くことができ、巻いたり巻き戻したりの煩わしさがなくなった(A compact pile of pages could be opened instantly to any point in the text, eliminating the cumbersome unrolling and rerolling)」。
この「開ける」が効いたのは、突き合わせる読み方においてだった。同じ解説によれば、キリスト教徒は聖なる書物について出典どうしを比較研究しており、それが「コデックスで可能になるページの容易なめくりの魅力を高めた」。そして——「同じく出典の比較を必要としたローマの法学もまた、早くからコデックスを好んだ(Roman legal scholarship, which also required a comparison of sources, likewise showed an early preference for the codex)」。下のボタンで、巻物と本に同じ用事を頼んでみてほしい。
※置き換わりは一夜では起きていない。ブリタニカは「400年のあいだ、巻物とコデックスは並んで存在した(For 400 years the roll and the codex existed side by side)」と書き、コデックスへの同時代の言及は紀元前1世紀から、現存する実物は2世紀からだとする。いつ「主流」になったかも機関によって幅がある。ブリタニカは4世紀に羊皮紙とコデックスが優勢になったとし、ケンブリッジ大学は6世紀までに支配的になったとする。大英図書館は年ではなく「古代末期までに大半」と書く。ジャンル差も大きく、初期の新約聖書断片はごく少数の争いのある例外を除いてすべてコデックスである一方、ギリシャ語の文学作品は4世紀まで巻物が主流だった。さらに大英図書館は、現存資料の大半がエジプト出土であり、そこから全体を一般化することはできないと注意を促している。この室でも、転換を「4世紀ごろを中心とした数百年の移行」としてあつかい、年を一点に決めていない。
02
本は、
皮だった
紙が西ヨーロッパに行きわたるまで、本の材料は動物の皮だった。
羊皮紙の作り方を、ゲティの解説はこう書いている。生皮を何日も石灰水に漬けて毛をゆるめ、木の枠にぴんと張る。毛と残った肉をていねいに掻き落とし、洗って、もう一度張る。三日月形の刃(lunar knife)で狙う厚みまで少しずつ薄くしてから軽石で研ぎ、細かい粉をはたいて「インクと絵具をよく受ける滑らかな面」をつくる。ブリタニカはここに白亜で白くする工程を加えている。
「羊皮紙はペルガモンで発明された」という話は有名だが、ブリタニカはそれを「伝承では(tradition has it)」と書き出す。プトレマイオス5世がパピルスを禁輸し、困ったエウメネス2世が羊皮紙で応じた——紀元前190年ごろの出来事とされる筋書きだ。ただし革に書かれた文書はエジプトで紀元前2450年からあり、羊皮紙はその革を精製したものにすぎない。ペルガモンがしたのはおそらく発明ではなく、精製と普及だった。ギリシャ語とラテン語のどちらでも、羊皮紙を指す語は「ペルガモンのもの(stuff from Pergamum)」を意味する。ブリタニカはこれを、伝承をいくらか裏づける材料として挙げている。
皮であることは、本のつくりにも残った。一枚の皮には毛側(hair side)と肉側(flesh side)があり、毛側は黄みがかって毛穴の跡が残り、肉側は白く滑らかだ。ゲティはいまも残るその痕跡をこう書く——「ページの上の小さな黒い点は、その動物の毛穴(hair follicles)である」。写字生はこの二つの面を、折るときに揃えた。
※この並べ方は絶対の規則ではなく、普通そうする、という慣習である。ケンブリッジ大学が「普通は(normally)」と書いているとおりで、その同じ記録が扱うエマヌエル・カレッジ251番の再利用写本は、毛側を折丁の内側へ向けるという逆の組み方をしており、「羊皮紙の写本としてはきわめて異例の構造」と記されている。なお目録や写本学ではこの慣習に固有の呼び名があるが、本室が参照できた所蔵機関の資料ではその呼称と由来を確認できなかったため、ここでは名前を使わず、実際の記述だけを引いている。図の毛側・肉側の色の差は、見分けやすさのために強調した模式表現で、実物の色差はこれより小さい。
03
金が先、
色はあと
1ページは、いくつもの手が順に重なってできている。
まず罫線を引く。ゲティによれば、裁たれたページには鉛の芯(leadpoint)か色インクで等間隔の罫が引かれ、その線は「写字生が均等に書く助けになり、ページの設計の一部でもあった」。行の間隔も余白も、文字が載る前に決まっている。
次に本文。鵞鳥か白鳥の羽根を削ったペンで書く。ペン先には切れ込みが入れてあり、インクが先端までなめらかに流れる。ゲティはここに大事な一行を置いている——「多くの場合、絵より先に文字が書かれた(Most of the time, the text was written before the painting was done)」。
そして朱。見出しや章題、儀式の指示を赤で入れる担当をルブリケーターという。語源のラテン語 rubricare は「赤くする」。ボドリアン図書館はこの仕事の解説に、「articulation, not decoration(飾りではなく、文章の節目を示すこと)」という題をつけている。赤は装飾ではなく、太字や見出しが今やっている仕事を、はじめに引き受けた色だった。
残るのは下絵と金と色。ここで順番が、直感と逆になる。
※工程は地域と世紀で異なり、ここに示したのは所蔵機関の解説が共通して挙げる代表的な順序である。金の下地の呼び方は資料で揺れており、ゲティはボーレ(精製した赤い粘土)やガム・アンモニアックと書く一方、同館の別の解説は膠を混ぜた厚い下地(gesso または bole)と書く。金は箔とはかぎらず、粉末の金を膠で練り、貝殻に貯めて絵具のように塗るシェルゴールドも広く使われた(フィッツウィリアム美術館)。図の文字は読める言葉ではなく、行の調子だけを示す模式表現である。
活版が本を安くしたあとも、
— メトロポリタン美術館がシモン・ベニング筆《Book of Hours》と記録した、下の一冊。
この6.5センチは手で描かれた。
実物をみる
手のひらに収まる本だ。描いたのはシモン・ベニング、フランドル最後の大写本画家とされる人物。年代は1530〜35年ごろ——グーテンベルクの活版から、およそ80年後にあたる。印刷が本を安くしたあとも、手で描く本は消えなかった。日用品の座をゆずり、贅沢品として残った。
ただしかたちのほうは、そっくり受け継がれた。折って、綴じて、めくる。活版の本も、その後のあらゆる本も、そして画面の中の「ページ」も、1世紀ごろに現れたこの容れものの子孫だ。赤で見出しを立てる仕事は、やがてイタリック体のような活字の工夫が引き取っていく。紙そのものの話は「紙と印刷のはじまり」の部屋へ、活字が写字生を置きかえていく話は「活版印刷と活字のはじまり」の部屋へ続いている。
※01の転換期は機関によって4世紀から6世紀まで幅があり、本室では年を一点に決めていない。現存資料の大半がエジプト出土であることにも注意が要る(大英図書館)。02の面を揃える並べ方は絶対則ではなく慣習で、逆の組み方をする写本も記録されている。03の工程順は代表例であり、金の下地の呼び方は資料で揺れる。図版中の文字はいずれも読める言葉ではなく、行の調子を示す模式表現である。締めの一冊について、メトロポリタン美術館は制作年を1530〜35年ごろとするが、これは美術館の記録であって本室が独自に検証したものではない。活版からの年数も、その記録からの単純な引き算である。全主張の台帳は museum/SOURCES.md。