01
息を入れると、
ガラスは安くなった
ガラスの材料は、どこにでもあるものばかりだ。
ゲティ研究所の解説は、古代ガラスの材料を三つ挙げている。珪砂(silica, which is derived from sand)、融点を下げるソーダ(エジプト北部ワディ・ナトルーン産のナトロン)、そして固まりを安定させる石灰(limestone, or from the crushed shells already present in sand)。砂と、灰と、貝殻。それだけだ。
それなのに、ガラスの器は長いあいだ特別なものだった。吹く技法がなかったころは、芯に巻きつけたり、型に流して削り出したりして一点ずつ作るしかない。同じ解説はその時代の器をこう書いている——「神々と、王と、社会の最上層のためだけのもの(meant only for gods, kings, and the highest ranks of society)」。
変えたのは、道具でも材料でもなく息だった。紀元前1世紀、シリア・パレスチナのあたりで、溶けたガラスの塊に管を通して息を吹き込む方法が見つかる。中をくり抜くのではなく、空気で内側から押し広げる。下のボタンで、その一手を入れてみてほしい。
※吹きガラスの発明年について、一次解説のあいだで幅がある。コーニング・ガラス美術館は紀元前40年ごろとし、ブリタニカは「紀元前1世紀にシリアのガラス職人によっておそらく開発された」と留保をつけ、メトロポリタン美術館の図録も「紀元前1世紀にこの地域で発明された可能性が高い」と書く。この室でも世紀までにとどめ、年を断定しない。
02
跳ね返す色と、
通す色
同じ青でも、絵具の青とガラスの青は、見え方のしくみが違う。
絵具を塗った面に光が当たると、一部の波長が吸われ、残りが表から散って目に戻る。見えているのは跳ね返った光だ。だから絵は、前から照らせば見える。
ガラスは、光を通してしまう。一部の波長を吸いながら、残りはそのまま向こう側へ抜けて目に入る。見えているのは通り抜けてきた光だ。だからステンドグラスは、前から照らしても色が立たない。後ろに光がいる。
色のつけ方も、絵具とは違う。ヴィクトリア&アルバート博物館の解説によれば、ガラス職人は溶かす段階で金属酸化物の粉を砂と灰の配合に加えた。表に塗るのではなく、ガラスそのものを色のついたガラスにしてしまう。こうしてできたものをポットメタル(pot-metal)と呼ぶ。
下の円板は、その一枚だ。光の位置をボタンで入れ替えてみてほしい。
※どの金属がどの色になるかは、おおよその対応でしかない。同じ酸化物でも、配合するガラスの種類と、溶かすときの酸化・還元の具合で色は動く。銅は酸化の状態しだいで青緑にも赤にもなる。マンガンは紫を出す一方で、鉄が出す緑を打ち消す脱色剤として使われることのほうが多かった。古いガラスの紫には、長年日光を浴びて後から紫に変わったもの(ソーラリゼーション)も混じる。この図の4色は代表的な対応を示す模式表現で、特定の作品の分析値ではない。
03
赤だけが、
通らなかった
「色をつければ、その色の光が通る」——赤はここから外れた。
銅で赤くしたガラスは、ルビーとも呼ばれる深い色になる。ところがヴィクトリア&アルバート博物館の解説はこう書く——その赤は「とても暗く、光が通り抜けるには透明度が足りなかった(very dark and not translucent enough for the light to pass through)」。02で見たしくみが、ここで裏返る。色が濃すぎると、通す光が残らない。窓にはめても、ただ黒い穴になる。
中世のガラス職人が見つけた逃げ道は、量を減らすことだった。無色の「白」ガラスを、溶けた赤の壺に浸して一緒に引き延ばす。できあがるのは、無色の素地の上に赤が薄い層としてのった一枚——フラッシュガラスだ。赤は、薄くしてはじめて赤く光る。
断面の厚みを切り替えて、見え方がどう変わるか確かめてほしい。
※この図の厚みは、厚い赤と被せた赤の違いを示す模式表現で、実測値の比率ではない。銅の赤は還元の加減でできるもので、還元が進みすぎると褐色になって不透明になり、足りないと青みが残る——色を出すこと自体が難しい技だった。
色を使うな、と言われた職人が、
— クリーブランド美術館が《Stained Glass Panel with Aconite Leaves》と記録した、下の一枚。
葉のかたちだけで窓を組んだ。
実物をみる
クリーブランド美術館の解説によれば、この板が色を抑えているのには理由がありそうだという。1134年にシトー会が、人物像と鮮やかな色ガラスを使うことを禁じた。だからこの一枚は、その修道会の教会の窓から来たのかもしれない、と。禁じられたのは色と像で、残されたのは線と、葉のかたちと、鉛の桟の割り方だけだった。そこから職人たちが引き出したのが、この画面だ。制約は、表現を減らすとはかぎらない。どこを選べないかが決まると、選べる場所の密度が上がる。素材と色の話は「顔料と色」の部屋へ、石を並べて絵にする話は「モザイク」の部屋へ続いている。
※01の年代は紀元前1世紀までにとどめ、年を断定していない(一次解説のあいだで幅があるため)。02の反射と透過は光学の一般的なしくみを示す模式表現で、特定のガラスの分光測定ではない。金属と色の対応は代表値で、配合と酸化還元で動く。03の厚みの比率は模式表現。なお、この締めの一枚にはひとつ整合しない点がある——クリーブランド美術館は制作年を1275〜1300年ごろとしながら技法に silver stain を挙げるが、ヴィクトリア&アルバート博物館はシルバーステインの登場を14世紀とする。年代の下限と技法の登場時期が接しており、どちらかが概数である可能性が高い。この室では館の記録をそのまま引き、食い違いも隠さずに置いた。全主張の台帳は museum/SOURCES.md。