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← Museum Experience 約2万年前 — 約4500年前 · 中国/日本

Clay & Fire

やきもの — 土は、焼くと戻らない

粘土は、水をふくめばやわらかくなり、乾けば固くなる。けれどその固さは借りものだ。 もう一度水に沈めれば、ほどけて泥に戻る。人はこの往復を、火で断ち切った。 ある温度を越えた土はもう粘土ではなく、水に入れても崩れない。 そこではじめて、器は「ものを入れて煮る道具」になった。 しかも、それが起きたのは畑ができるよりずっと前のことだった。

01

鍋は、
畑より1万年早かった

土器は、農耕とともに生まれた——長いあいだ、そう考えられていた。

定住して畑を耕し、穀物を貯え、煮て食べる。だから器がいる。筋は通っている。ところが2012年、中国・江西省の仙人洞(せんじんどう)という洞窟から出た土器片の年代が測り直され、話が逆になった。

最も古い層の年代は約2万〜1万9000年前。東アジアでもそれ以外の地域でも、それまで知られていたどの土器より2000〜3000年古い。そしてこの時期は最終氷期の最も寒い時代にあたる。洞窟に残っていたのは、定住した農民の痕跡ではなく、移動しながら狩りと採集で暮らす人々のものだった。

論文はこう結んでいる——土器が最初に作られ、使われたのは、農耕が現れるより1万年かそれ以上前だ、と。器は、畑を待たなかった。下のボタンで、その隔たりを見てほしい。

※仙人洞の土器が何に使われたかについて、論文は「調理器具だったかもしれない(may have served as cooking devices)」という慎重な言い方をしている。この室でも断定はしない。はっきりしているのは年代と、作った人たちが移動する狩猟採集民だったことのほうだ。

02

450度を越えると、
戻らない

乾かすことと焼くことは、まるで違う。

粘土を日なたに置けば、水が抜けて固くなる。けれどそれは水が去っただけで、粘土そのものは変わっていない。だから水に沈めれば、またほどけて泥に戻る。天日干しのレンガが雨に弱いのはこのためだ。

火に入れると、話が変わる。粘土の結晶には、ただしみ込んだ水とは別に、結晶の骨組みの一部として組み込まれた水酸基がある。これは乾かしただけでは抜けない。ところが450度あたりから、この水酸基が外れはじめる。結晶の骨組みそのものが壊れ、別の物質へ変わる。壊れた骨組みは、冷やしても元には戻らない。ここが、粘土が粘土でなくなる一線だ。

温度を上げつづけると、変化はさらに続く。窯の温度のつまみを動かして、器がどうなるかを見てほしい。そしてどの温度でも「水に入れる」を押せる。450度の前と後で、何が起きるかが分かれる。

03

撚りを変えると、
模様が逆に傾く

「縄文」は、文字どおり縄の文(あや)だ。

やわらかい粘土の表面に縄を押し当てて転がす。それだけで、器いっぱいに模様が広がる。この押し当てる縄を縄文原体(じょうもんげんたい)という。日本最古の縄文土器は約1万6000年前(青森県・大平山元遺跡)のもので、文様は数百種類あるとされる。

原体のつくりかたは、糸をつくるのと同じだ。繊維束を左に撚る。それを2本合わせて右に撚る——これで無節(むせつ)R。さらに2本合わせて左に撚れば単節(たんせつ)LRで、縄文土器にいちばん多く見られるのはこの単節の文様だという。もう一段重ねれば複節になる。撚りを重ねるごとに縄の表面に「節(ふし)」があらわれ、複節では大きな節のなかに、さらに小さな節が見える。

おもしろいのはここからだ。撚る向きを逆にするだけで、同じように転がしても模様の傾きが反転する。右撚りの原体を横に転がすと条(すじ)は左上がりに、左撚りなら右上がりに出る。下で切り替えて、転がしてみてほしい。

高さ61センチの鍋に、
炎がついている。

— クリーブランド美術館が《Fire-flame Cooking Vessel(火焔型土器)》と記録した、下の一点。

実物をみる

縄文土器の深鉢。口のまわりから四つの大きな突起が炎のように立ち上がり、ふちは激しく波打っている。胴の部分には粘土のひもを渦巻き状に貼りつけた隆起線が全面をおおい、そのあいだは細かい筋目で埋められている。色は赤みを帯びた茶。
《火焔型土器》紀元前2500年ごろ・縄文時代(高さ61センチ、径55.8センチ)。粘土のひもを貼りつけ、彫り込んで、器のほとんど全面が埋められている。煮るための道具に、人はここまでの手数をかけた。 クリーブランド美術館所蔵(1984.68 / John L. Severance Fund)・CC0。Open Access API で share_license_status: CC0 を確認の上、縮小して掲載

煮るだけなら、丸い鉢で足りる。それなのに、縄文の人々は鍋のふちを炎のように立ち上げ、胴を渦巻きで埋めつくした。機能が満たされたあとに残る手数こそが、装飾と呼ばれるものだ。そしてその手数は、気まぐれではない。縄の撚りの向きひとつで模様の傾きは決まり、窯の温度が450度を越えれば土はもう戻らない。どこまでが決まりで、どこからが選択なのか——その境目を手で覚えることが、つくるということの中身になる。糸を撚る話は「織りと染め」の部屋へ、土から色を取り出す話は「顔料と色」の部屋へ続いている。

※01の年代は放射性炭素年代(暦年較正)による。土器の用途について一次文献は断定していない。02の温度は、カオリン系粘土を焼いたときに起きる変化の報告値にもとづく。粘土の種類によって温度はずれるため、図の器の見えは模式表現であり、特定の土の焼き上がりを再現したものではない。なお、焼いた土器もごく微量の水酸基を長い年月をかけて再び取り込むことが知られている(この性質は年代測定に使われる)。この室の「戻らない」は、水に入れても粘土には戻らないという意味で用いている。03の縄文は原体のしくみを示す模式表現で、実在の土器の拓本ではない。全主張の台帳は museum/SOURCES.md。

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