01
一割の、
錫
青銅は、銅に錫を一割ほど混ぜた合金だ。
メトロポリタン美術館の解説は、その配合をこう書く——「青銅は、典型的には銅90パーセント、錫10パーセントからなる合金である」。では、なぜ混ぜるのか。理由は同じ一文のなかにある。「そして、純銅よりも融点が低いため、型を満たすあいだ、より長く液体のままでいる(because it has a lower melting point than pure copper, it will stay liquid longer when filling a mold)」。
溶けた金属は、型に入った瞬間から冷えはじめる。指先、衣のひだ、器の細い文様——型のいちばん奥の、いちばん細いところへ届く前に固まってしまえば、そこは欠ける。一割の錫が買っているのは、間に合わせるための時間だ。
いつ気づいたのか。同館は「紀元前3千年紀のあいだに、古代の鋳物師たちは試行錯誤を通して、彫像をつくるうえで青銅が純銅に対してはっきりした利点をもつことを認識した」と書く。理論ではなく、失敗の蓄積だった。
材料は遠くから来た。銅は地中海の各地で採れ、なかでもキプロス島が重要だった——島の名そのものが、銅を意味するギリシャ語に由来する。いっぽう錫は、近くになかった。同館が産地として挙げるのは南西トルコ、アフガニスタン、イングランドのコーンウォール。たった一割のために、その一割をはるばる運んでいる。
02
蝋が、
消える
もっとも古い失蝋法では、型の中にあったものが、ひとつ残らず消える。
メトロポリタン美術館は、もっとも早く、もっとも単純なやり方として中実(solid)の失蝋鋳造をこう説明する。まず蝋でモデルをつくる。それを粘土で包む。熱して蝋を取り除き、同時に粘土を固める。型をひっくり返して、溶けた金属を注ぐ。冷めたら粘土を割って、中から中実の青銅を取り出す。
注意して読むと、この工程ではふたつのものが壊れている。蝋のモデルは熱で流れ去り、粘土の型は最後に割られる。残るのは金属だけだ。できたものの形は残るが、つくるのに使ったものは何ひとつ残らない。この方法では、同じものをもう一度つくることができない。
ギリシャでは、大きな像はもともと別のやり方で作られていた。スフィレラトン(sphyrelaton)——語そのものが「槌で打たれたもの」を意味する。叩いて延ばした金属の板を、鋲で留めてつなぐ技法だ。同館はその終わりをこう書いている。「後期アルカイック期(紀元前500〜480年ごろ)までに、失蝋鋳造が主要な技法となったとき、スフィレラトンは主たる方法としては使われなくなった」。
打ち出しから、流し込みへ。形をつくる手つきが、そこで入れ替わった。
ただし「失蝋法=一点もの」と覚えてしまうと、半分しか合っていない。中実で鋳れるのは小さなものだけだからだ。同館は理由をこう書く——「青銅の物理的性質は大きな中実鋳造を許さないため、中実の蝋モデルを使うかぎり、鋳物師はごく小さな像しか鋳ることができなかった」。そこでギリシャ人は中空(hollow)の失蝋法に移る。粘土で中子をつくり、その上に蝋を着せ、さらに外側を粘土で覆う。大きな像は頭・胴・腕・脚といくつかに分けて鋳て、あとから接合した。
さらに間接法(indirect process)になると、話がひっくり返る。こちらでは「元のマスターモデルは鋳造の過程で失われない」。だから部分を鋳直すことも、同じ像を何体もつくることもできる。同館は「こうした利点ゆえに、大型の古代ギリシャ・ローマ青銅像の大半は間接法で作られた」と書く。消えるのは、そのつど作られる蝋のほうだ。模型を残すか、残さないか——次の部屋は、別の道から同じ問いに答えている。
03
継ぎ目が、
残る
同じころ中国では、蝋をまったく使わないやり方が使われていた。
范(はん)、英語でピースモールド(piece-mold)という。スミソニアン国立アジア美術館は、その違いをひとことで書く——「中国の鋳物師は、模型にも、取り外せる分割型にも粘土を使った。(これは、蝋を着せた模型で鋳造する地中海およびヨーロッパの慣行とは異なる)」。02で見た失蝋法とは、出発点から別の道だった。
工程はこうだ。粘土で器の模型をつくる。その上にもう一層の粘土をかぶせ、乾いたら縦に、たがいに合う数枚(ふつうは3枚か4枚)に切り分けて外型にする。元の模型は表面を削り落として、内側の中子にする。外型を組み直すと、中子とのあいだに器の厚みぶんのすきまができる。そこへ溶けた青銅を流す。冷えたら粘土の型を割って取りのぞき、表面を磨いて仕上げる。
02で見た中実の失蝋法とのいちばんの違いは、模型の運命にある。中実の失蝋法では蝋の模型が熱で消えてなくなるが、范では模型が残る——削られて、中子になる。外型のほうも、分割してあるから模型を壊さずに外せる。ただし鋳造のあとは、どちらの技法でも粘土の型は割られる。溶けた金属を包んだ型が、そのまま次にも使われるということはない。
ただし、痕跡は残る。同じ解説はこう続ける。「多くの場合、型の分割面どうしの接合は、できあがった青銅器の外側に、盛り上がった筋(raised ribs)として現れる」。
この筋が、物証になる。ゲティ保存研究所の『青銅彫刻の技術的検査ガイドライン』には、フリーア美術館が所蔵する象のかたちをした紀元前11世紀の盉(か/huo)をめぐるケーススタディが収められている。執筆者は、同館の保存科学者ドナ・ストラハン。そこにはこう書かれている——「中央中国で失蝋鋳造がいつ最初に使われたかは、長年にわたる議論の的であった」。この器も、1960年代に最初に研究されたときは、失蝋法で鋳造されたと考えられていた。
見方を変えたのは、器そのものではなく地面から出てきたものだった。同じ文章はこう続く。「しかし、この器と同時代の鋳造場跡が安陽で近年発掘されたこと、および青銅器の技術的研究に用いる検査・分析の手法が精密になったことが、紀元前11世紀の長江中流域における、こうした器の鋳造法について新しい知見をもたらした」。そのうえで改めて技術的に調べ直すと、この象の器には「まったく別の製作方法——すなわち、当時そうした青銅器をつくるのにもっとも一般的だった、ピースモールド鋳造技法の、明らかな証拠」が現れた。つくり方の違いは、できあがったものに残る。百年近く見られてきた器が、分析の手が届くようになって、ようやく自分の素性を明かした。
※ゲティのケーススタディが判定しているのは、フリーア美術館所蔵の特定の一点(F1936.6a–b、紀元前11世紀前半・長江中流域)についてであって、中国青銅器全般についての判定ではない。同じ文章が明記しているとおり、中央中国で失蝋法が最初に使われた時期は長年の議論の的であり、決着していない。本室は「この器はピースモールド法で鋳造された」「ピースモールド法が当時もっとも一般的な方法だった」という記述を示すにとどめ、失蝋法が中国に存在しなかったとは書いていない。なおこの器は1936年にフリーア美術館が取得したもので出土地の記録がなく、制作地と年代は様式の評価および残存する中子材料の分析にもとづく推定である。
溶かせるものは、
— メトロポリタン美術館が、古代ギリシャ青銅彫刻の解説の冒頭に置いた事実から。
残らなかった。
実物をみる
この室で見てきた技術には、代償がついている。メトロポリタン美術館の解説は、古代ギリシャ青銅彫刻の話をこう書き出す——「ごく少数を除くすべての古代の青銅像は、失われたか、価値ある金属を再利用するために溶かされてしまった。そのため、ローマ時代に作られた大理石の複製が、有名なギリシャの彫刻家たちの傑作についての、わたしたちの主要な視覚的証拠となっている」。
何度でも溶かして作り直せるという長所が、そのまま、何も残らない理由になった。やきものの部屋では、450度を越えた土はもう水に戻らないと書いた。戻れないかわりに、割れても破片は残る。金属は逆だ。戻せるかわりに、溶かされたら跡形もない。いま美術館で見るギリシャ彫刻の多くは、原作ではなく——原作を写した、石のほうである。
左の一点は、溶かされなかったほうだ。メトロポリタン美術館はこの器の記録にこう書いている——「ほかの祭祀用青銅器と同様に、鼎はもともと陶器としてつくられ、殷代に青銅で鋳造されるようになった」。かたちのほうが先にあり、材料だけがあとから入れ替わった。粘土で模型をつくり、粘土で型をとるこの技術は、やきものの延長線上にある。土の話は「やきもの」の部屋へ、同じように火で材料を溶かす話は「ガラス」の部屋へ続いている。
※01の「銅90パーセント、錫10パーセント」はメトロポリタン美術館が「典型的には(typically)」と留保をつけて書く配合であり、すべての青銅がこの比率という意味ではない。融点の具体的な温度は出典に記載がないため本室では扱っていない。02で図にしたのは同館が「もっとも早く、もっとも単純」と呼ぶ中実(solid)の失蝋法で、中空鋳造と間接法は本文で触れるにとどめ図にしていない。「失蝋法では模型が必ず失われる」は中実・中空の直接法にかぎった話で、間接法ではマスターモデルは失われない。03については、紀元前11世紀の中央中国でピースモールド法がもっとも一般的な方法だったというゲティの記述を示すにとどめ、中央中国で失蝋法がいつ最初に使われたかは長年の議論の的である点を留保として残している。各ギミックの図はいずれも模式表現で、流れる距離・固まりかた・器の形や分割線は、仕組みが見えるように単純化・誇張してある。締めの一点について、メトロポリタン美術館は年代を紀元前12〜11世紀と記録するが、これは美術館の記録であって本室が独自に検証したものではない。全主張の台帳は museum/SOURCES.md。