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Kana

かな — 借りた字が、自分の字になる

江戸時代まで、平仮名は空海が作ったと広く信じられていた1。 根拠にされたいろは歌は、確認できるのが11世紀の写本からで7、 空海(774–835)はとうに世を去っている。では、誰が作ったのか。 答えは、誰も作っていない。 9世紀中頃の都で、漢字を使いこなせる人たちが、公式でない用事のために使っているうちに、 それは文字になった——というのが、いま有力な見方である1。 残すつもりのない字だったから、ほとんど残っていない。

01

どの字から
来たのか

かなは、新しく考え出された形ではない。もとは全部、漢字である。

漢字の音だけを借りて日本語を書く方法は、平仮名より前からあった。万葉仮名という。 国立国語研究所の矢田勉は、万葉仮名の時代にも、生まれたての平仮名と同じような用途の資料—— 私的な手紙や、土器の落書き——があったとして、 「そうしたものがやがて平仮名に変わっていったのだと思われます」と書く1。

もとになった漢字を字母(じぼ)という。 いま使っているひらがなが、どの漢字から来たのか。6問、当ててみてほしい。

一音一字ではなかった。 同じ音を、別々の漢字から生まれた字で書いた。 いま使っている1字だけが残り、ほかは変体仮名と呼ばれるようになった。 正解すると、その音に使われたほかの字母も出てくる2。

崩していく図は、作っていない。 どの漢字をどう崩すと平仮名の形になるのか、その過程に明解な説明はまだない。 平仮名のもとは漢字の草書体であって、楷書や活字の形を崩して出来たのではない—— 「楷書の形をいくら書き崩しても草書の形は生まれてこない」という指摘がある4。 ここで重ねて見せるのは端末の活字どうしで、変化の過程を再現した図ではない。

この字のもとになった漢字は?

02

捨てる
ための字

平安時代の平仮名には、はっきりした特徴がある。書いた年月日が、書かれない。

書き手の名前がないことも普通だった。漢文で書かれた文書は、そうではない。 いつ誰が書いたかを明らかにして、後々の証文になるように配慮されている。 かなは、その配慮が要らない場所——たとえば私的なやりとり——で使われた、と考えられている1。

2012年、京都市埋蔵文化財研究所は、藤原良相邸(西三条第)跡の池から出た9世紀後半の土器片 約90点のうち約20点に墨で文字が書かれていた、と発表した。 「かつらきへ」のように、和歌とみられるかなが読める5。 何の場で書かれたかは定まっていない——宴の席とも、神楽が行われた折とも推測されている5。

器に書いて、使って、割って、捨てる。書いてみて、割ってみてほしい。

矢田勉はこの出土をこう結ぶ——「平仮名は初め、そういう『消費される文字』だったのです」。 残そうとしなかったものは残らない。だから、誕生したての平仮名の資料は極めて稀である1。

いつ確立したのかにも、幅がある。 この出土を受けて、「平仮名の確立は10世紀と言われていたが、約50年さかのぼる」という見方が示された5。 国立国語研究所の解説は発生を9世紀中頃に置く1。 どちらか一方には決めていない。

03

ついでに
残る

年代の分かる最古級のかなの資料は、かなを残そうとして書かれたものではない。

「讃岐国司解有年申文」という。讃岐介——いまでいえば県の副知事にあたる職にあった 藤原有年が、貞観9(867)年に書いた、漢文のなかにかなが混じる文書である。 東京国立博物館が所蔵している16。

この文書の仮名を何と呼ぶかは、立場が分かれる。 国立国語研究所の解説は「書かれた年代が明らかなものでは最も古い平仮名の資料」とし1、 『山川 日本史小辞典』は「草仮名で書かれている」とする6。 草仮名は、平仮名にまで簡略化される前の段階の仮名を指す語で、 広く取れば女手(平仮名)に含め、狭く取れば区別する6。 この室は、呼び名を一つに決めない。

どちらの呼び方をしても、年が分かる理由は変わらない。 かなの側に日付はない。ではなぜ867年と分かるのか。あてて、確かめてほしい。

書いたのは誰か。 平仮名には「女性の文字」という印象がある。「女手(おんなで)」という呼び名も実際にあった—— ただしこれは主に女性が用いたことに由来する呼称で6、誰が作ったかの話ではない。 誕生したての頃の資料で、明らかに女性が書いたという証拠のあるものは一つもない。 逆に、男性が書いたと明らかなものはいくつもある。藤原有年は実務官僚であり、 もう一つの初期資料「円珍病中言上状」(園城寺蔵)を書いた円珍(814–891)は、 平安時代の天台宗を代表する高僧の一人だった1。

年月日が書いてあるのは、どちらの紙?

平仮名は初め、
「消費される文字」
だったのです。

矢田勉(東京大学)/国立国語研究所 ことば研究館

実物をみる

讃岐国司解有年申文。縦書きの古文書で、漢字とくずした仮名が同じ筆跡のなかに混じっている。左下に「有年申」の署名が見える。
讃岐国司解有年申文 貞観9(867)年/東京国立博物館 蔵
年代の分かるかなの資料としては、もっとも古い部類にあたる。漢字とかなが同じ筆の流れのなかに混じっていて、 どこまでが漢字でどこからがかなか、見ただけでは切れ目がない。 画像:Wikimedia Commons(パブリックドメイン)。原資料は東京国立博物館所蔵8。

この室で見てきたことは、ひとつの逆説にまとまる。残そうとしなかったから、残らなかった。 そして、たった一枚だけ年代が確かめられるのは、それが漢文のついでだったからである。 かなの紙だけが残っていたら、9世紀のものだとは分からなかった。
なぜ9世紀中頃だったのか。矢田勉は「その正確な答えは今後の研究に求められています」と書いたうえで、 ひとつの可能性を添える——木簡が書く材料として多く使われていた時代から、 木よりもなめらかに筆が走る紙がより普通になった時代へ移ったことが、関係しているかもしれない、と1。 道具が変われば、字の形も変わる。紙そのものの話は「紙と印刷」の部屋へ、 文字が生まれる瞬間の話は「文字の誕生」の部屋へ続いている。

出典

  1. 国立国語研究所 ことば研究館「平仮名は誰が作ったのですか」執筆者:矢田勉(東京大学大学院総合文化研究科)、2019年4月5日。kotoba.ninjal.ac.jp
    引いた範囲:平仮名に単独の作者はいないこと、空海作説の否定、9世紀中頃の都の、漢字を使いこなせる人たちから公式でない用途で発生したという見方、年月日・書き手名が書かれないこと、有年申文の年号が本体の漢文から分かること、女性が書いた証拠のある初期資料がないこと、「消費される文字」の引用、木簡から紙への移行という可能性。
  2. 国立国語研究所「学術情報交換用変体仮名」一覧表。cid.ninjal.ac.jp/kana//一覧表
    引いた範囲:字母と平仮名の対応、同じ音に使われた字母の種類。同サイトは「文字図形として安定している活版印刷以降の変体仮名を集め」たセットだと明記している。
  3. 銭谷真人「仮名字体研究における『学術情報交換用変体仮名』の検証と応用」『国立国語研究所論集』12(2017)227–249頁。repository.ninjal.ac.jp(PDF)
    このセットの及ぶ範囲について。中世〜近世の三種のテキストは全て置き換えられた一方、平安期の『秋萩帖』には「学術用に該当字体なし」の字母(古・保・武・良・流・王)があり、使用される字体の傾向に「大きな隔たり」が見られたと報告している。
  4. 中山陽介「平仮名の字源と草書」『國學院雑誌』第122巻第9号(2021)。國學院大學学術情報リポジトリ(PDF)
    「どの漢字をどう崩したらその平仮名の形になるのか、という過程にまで問題を掘り下げていくと、明解な説明は求めがたい」。楷書を起点に平仮名の字源を説く通説を批判し、「楷書の形をいくら書き崩しても草書の形は生まれてこない」と述べる。
  5. 京都市埋蔵文化財研究所の発表(2012年11月28日)。藤原良相邸(西三条第)跡の池から出土した9世紀後半の土器片約90点のうち約20点に墨書。日本経済新聞(2012年11月28日)/museum.or.jp
    「かつらきへ」などの墨書、京都産業大・吉野秋二准教授の「平仮名の確立は10世紀と言われていたが、約50年さかのぼることが分かった」、京都大・西山良平教授による神楽の折に記された可能性の指摘。なお出典1は同じ出土を「2014年」と記しており、年の表記が一致しない。本文は発表機関の公表日である2012年を採る。
  6. 『山川 日本史小辞典 改訂新版』「藤原有年申文」「草仮名」、『精選版 日本国語大辞典』『ブリタニカ国際大百科事典』「草仮名」「女手」(コトバンク所収)。藤原有年申文/草仮名
    有年申文を「草仮名で書かれている」とすること、貞観9年(867年)2月16日付・東京国立博物館蔵であること、草仮名が「平仮名にまで簡略化されない前の時期の仮名」であり広義では女手に含まれ狭義では区別されること、女手が「主として女が用いたところから」の呼称であること。
  7. 『日本大百科全書(ニッポニカ)』「いろは歌」(コトバンク所収)。kotobank.jp
    現存最古のいろは歌は承暦本『金光明最勝王経音義』(1079年写)に万葉仮名で記されたもので、制作は平安中期以降と考えられ、弘法大師作説は否定されるべきだとする。
  8. Wikimedia Commons「File:讃岐国司解.jpg」。パブリックドメイン、原資料=東京国立博物館。commons.wikimedia.org

図版はすべて模式表現で、史料の文面・筆跡・出土品を再現したものではない。 01で重ねているのは端末の活字で描いた現代の字形であり、9世紀の筆跡ではない。 02で器に書かれる線は、見る人が引いた線である。03の二枚の紙も、配置の関係だけを図にしている。 主張ごとの原文照合は museum/SOURCES.md に記載している。

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