デザイン🇯🇵 東京・白金台(10/3開幕)
日記の3行から始まった会社が、3500を超える柄を世に出した
東京都庭園美術館で10月3日(土)から「マリメッコ展 模様のちから」が始まる(〜12月20日(日)、本館+新館)。マリメッコは1951年創業のフィンランドのデザインハウスで、名前は「マリのドレス」を意味する。創業者のアルミ・ラティア(1912–1979)は14歳の日記に「ただひとつの責任は、美。ただひとつの現実は、夢。ただひとつの強さは、愛。」と書き、この言葉がのちの仕事の土台になった。展覧会の英題 Beauty, Dream, Love と、そのまま重なる3語だ。これまでに生まれたプリントデザインは3,500種類を超える。会場には初期から現在までのドレス60点以上が並び、ヘルシンキにある自社のプリント・ファクトリーの現場を、アートユニットのplaplaxが映像インスタレーションで見せる。日本との縁も深く、1960年代には脇阪克二、70年代には石本藤雄が同社のデザイナーとして活躍した。今回はデザイナーの皆川明が、マリメッコとの対話から生まれた新作インスタレーションを寄せる。会場の旧朝香宮邸は1930年代フランスのアール・デコを基調にした邸宅で、建物の装飾とドレスの柄が同じ空間で響き合う。日時指定予約制で、観覧料は一般1400円、高校生700円。
💡 話せるタネ1965年に撮られたヘルシンキの工場の写真には、職人が
スクリーン印刷の版で布に柄を刷る姿が写っている。一枚の図案を描くことと、同じ柄を何メートルも布に刷り続けること。そのあいだをつなぐのが、テキスタイルの仕事だ。
絵画🇯🇵 大阪・阿倍野(10/3開幕)
窓と扉が何度も出てくる理由を、100点で確かめる
あべのハルカス美術館で10月3日(土)から「アンドリュー・ワイエス展」が始まる(〜12月6日(日))。ワイエス(1917–2009)は20世紀アメリカの具象絵画を代表する画家で、没後、日本で初めての回顧展になる。国内外から100点が集まり、そのうち15点は日本初公開。戦後のアメリカでは抽象表現主義やポップアートが脚光を浴びたが、ワイエスはそこから距離を置き、故郷ペンシルヴェニア州と夏を過ごしたメイン州で、身近な人と風景を描き続けた。今回の軸は、作品にたびたび現れる窓や扉だ。展覧会はそれを、生と死や、画家の内側と外の世界をつなぐ「境界」として読み直す。父は高名な挿絵画家のN.C.ワイエスで、幼いころから父の手ほどきを受けて画家になった。日本での人気は古く、1974年に東京と京都で開かれた日本初の個展には33万人が集まっている。東京、愛知・豊田と巡ってきた展覧会で、大阪会場の案内を飾るのは《クリスティーナ・オルソン》(1947年)。テンペラで板に描いた一枚だ(会期中に展示替えあり)。観覧料は一般2200円、大学生・高校生1800円。
💡 話せるタネ窓は、こちら側と向こう側を同時に見せる装置だ。ワイエスの絵の前に立ったら、描いた人が部屋の中にいるのか外にいるのかを探してみてほしい。答えがはっきりしない絵ほど、長く見ていられる。
絵画🇯🇵 広島(10/2開幕)
画家の愛車だったポルシェが、美術館の展示室に入る
広島県立美術館で10月2日(金)から「没後30年 菅井汲」が始まる(〜12月6日(日)、会期中無休)。菅井汲(1919–1996)は、20世紀に国際的に最も高く評価された日本人画家の一人で、本展は初期から晩年までの画業を通してたどる。注目は2つ。ひとつは、木枠から外した状態で保管されていた作品が「日本初公開」として加わること。もうひとつは、菅井の愛車だった1973年式のポルシェ・カレラRSが、絵と一緒に展示されることだ。美術館はこの車を、菅井が「命がけで掴もうとしていた表現」に迫るための展示と位置づけている。出品作の題を見ると、《12気筒》(1972年)、《朝のオートルート》(1964年)、《Ma Voiture(PORSCHE)(私の車 ポルシェ)》(1975年)と、エンジンや道路や車そのものが並ぶ。10月3日(土)には三重県立美術館長の速水豊さんによる記念講演会がある(聴講無料・要申込)。観覧料は一般1500円、高校生・大学生1000円で、同じ券で所蔵作品展も見られる。
💡 話せるタネ何を
モチーフに選ぶかで、画家の性格はかなり見えてくる。花でも人でもなく、エンジンの気筒の数や高速道路を作品の題にした画家が、20世紀の日本にいた。自分が夢中になっているものを描いていいのか迷ったら、この名前を思い出すといい。
ゲーム×写真🇯🇵 東京・渋谷(10/1まで)
ゲームの中の風景に、写真家がカメラを向けている
渋谷のShibuya Sakura Stage 4階にある404 Not Foundで、パスカル・グレコの写真・映像展「PHOTOGRAPHING THE VIRTUAL IN THE AGE OF ANIMA LUDENS」が開かれている(9月25日(金)〜10月1日(木)、10時〜21時)。グレコはスイスとイタリアにルーツを持つ独学のアーティストで、映画監督、撮影監督、編集者、アートディレクター、写真家の仕事を行き来してきた。もともとの主題は建築と風景で、日本各地の日常を撮った『Kyoshu, nostalgie du pays』(2007年)など10冊の写真集がある。その写真家が、ビデオゲームの中に広がる仮想の風景も撮りはじめた。写真集『Place(s)』(2021年)と『Photography, Video Game, Landscape』(2025年)では、ゲーム内写真を通して「ポスト・フォトグラフィー」という領域に取り組んでいる。本展はゲームと遊びを起点にした創作を支えるars●bitプロジェクトの企画で、フランス・アルルの芸術祭「Festival Octobre Numérique」で開かれる「Anima Ludens展」に先立つもの。ゲームや急速に進化するAIが立ち上げる新しい自然「デジタル・ネイチャー」と、人がどんな関係を結べるかを問いかける。
💡 話せるタネ誰も住んでいない街でも、構図と光があれば風景写真になる。ゲームの途中で思わず景色のスクリーンショットを撮ったことがあるなら、その人はもう撮影の入口に立っている。何を撮るかより、どこで立ち止まるかが写真家の目だ。
現代美術🇯🇵 青森・十和田(10/3 上映と対話)
広場の彫刻と同じ題の絵が、生まれる瞬間を十和田で見る
8月14日に97歳で亡くなった草間彌生をしのんで、十和田市現代美術館がプログラム「KUSAMA FOREVER(1929–2026〜∞)」を開いている(〜12月27日(日))。美術館のアート広場には、草間が十和田のために制作した《愛はとこしえ十和田でうたう》(2010年)が常設されている。館内のcube cafe & shopのライブラリーには追悼スペースがつくられ、関連書籍と、草間が十和田を訪れたときの写真が並ぶ。追悼メッセージは11月29日(日)まで受け付け、寄せられた言葉はその場に掲示される。10月3日(土)の夜は、「映画と対話の夕べ」。2008年のドキュメンタリー映画『≒草間彌生 わたし大好き』(102分)を上映し、そのあと参加者どうしで「草間彌生氏と私」を語り合う。映画が密着したのは、F100号のモノクロ作品のシリーズ「愛はとこしえ」50作が完成する瞬間で、真っ白なキャンバスから仕上がりまでを定点カメラでとらえている。参加は無料、定員60名で事前予約が優先。10月11日(日)には広場の彫刻を見て歩く「げんびさんぽ」、17日(土)には別の映画とレクチャーの夕べが続く。
💡 話せるタネ作家がいなくなっても、街に置かれた作品は毎日そこに立っている。美術館の壁ではなく広場にあるから、通りがかった人の記憶にも少しずつ入り込む。訃報のあとに見る作品は、きっとそれまでと違って見える。
映画🇯🇵 東京(10/26開幕)
没後70年の監督の13本が、修復されて映画祭に並ぶ
10月26日(月)に開幕する第39回東京国際映画祭(〜11月4日(水))が9月25日、特別企画の内容を発表した。柱のひとつは、没後70年を迎えた映画監督・溝口健二(1898–1956)の特集「TIFF/NFAJクラシックス 映画監督 溝口健二」だ。国立映画アーカイブとの共催で、近年デジタル修復された作品を中心に13本を、すべて英語字幕付きで上映する(10月27日(火)〜11月1日(日)、国立映画アーカイブ 長瀬記念ホール OZU)。『雨月物語』(1953年)、『山椒大夫』(1954年)、『近松物語』(1954年)といった代表作に加えて、今年新たに修復した『瀧の白糸』(1933年)は、この特集が国内初上映になる。上映にあわせたトークや、弁士・伴奏音楽付きの上映も組まれている。同じ発表では、中高生向けの映画制作ワークショップ「TIFFティーンズ映画教室」が今年度で10周年を迎え、11月3日(火・祝)に歴代の特別講師を招いた記念イベントを開くことも明らかになった。映画祭のチケットは10月17日(土)に発売される。
💡 話せるタネフィルムは時間とともに傷み、上映される機会も減っていく。直して、字幕を付けて、もう一度スクリーンにかける人たちがいるから、90年以上前の作品が今年の新作と同じ映画祭に並ぶ。古典は、誰かが手をかけ続けることで古典のままでいられる。
今週はここまで。
今週の6本は、どれも何かを受け取った人の話だった。14歳の日記の3行を土台にした会社は、100年後の東京で「模様のちから」を見せる。父から絵を習った画家は、窓と扉の向こうを描き続けた。愛車の名前を作品名にした画家の没後30年に、その車が展示室へ入る。十和田の広場には、作家が去ったあとも彫刻が立ち、ゲームの中の誰もいない景色でさえ、撮る人がいれば写真として残る。90年以上前のフィルムは、修復されて次の観客を待っている。受け取る側に回る機会は、美術館や映画館に足を運べば、いつでも用意されている。次号もお楽しみに。
編集:東洋美術学校 | study.to-bi.ac.jp ・ 全記事 出典リンク付きの要約です